気になっていた赤提灯 その4

前回からの続き :
ホヤを食べ焼酎のオンザロックを飲みながら店の主人の話を聞く内に、やがて、全ての疑問に対する答えが分かってきた。この地の魚が美味いことも、赤提灯の主人が客慣れしていないことも、そして、何故、近隣の丘に大聖堂が聳え建っているのかも



店の主人によると、それは給水塔であるという。この地を開発した不動産屋が近隣の一番高い丘の上に給水施設を建設し、その時、モニュメントとして高い塔のデザインの建物にしたのだという。



その水は、この辺り一帯の家々に給水されていて、言わば、命の水となっているという。周辺で一番高い丘の上に建つ理由、それは水圧を利用し給水ポンプなど必要としなくとも十分な水を供給するための術なのだった。



給水施設のデザインが不動産屋の意図的なものとしても、その水の塔は、精神的にはある種、カトリックの大聖堂と同じく信仰の対象となってもおかしくはない程、美しく輝くように丘の上に建っている。命の水の塔として。



カトリックの町では、暗黙の了解として大聖堂より高い建物は建てないと言う宗教上のモラルがあり、街並みを秩序正しく維持する不文律となっている。この地はカトリックとは無縁な土地ではあるのだが、カトリック以上に大聖堂より高い建物など建てられるはずもなく、街並みの美しい秩序を維持できていることの理由が、あたかも自然に対する謙虚な信仰心のように思えてくるのだった。



焼酎のオンザロックをお代わりし、次第に酔いの回る心地よさに身を任せながら、私の意識は夢の中へと旅立つのだった。全ての謎が解けたような気がしてきた。あらゆる必然がいまここにある。



毎朝鳴く雉が、何故、この地にいるのかさえ、理解できたのだった。それは、いまここでは明らかに出来ないことなのだが、やがて時が来たなら話そうと思う。そして、もう一つの謎、私が何故、この地へ引っ越して来なければならなかったのか、その理由も明らかとなったのだった。

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店を出ると、外は真っ暗で街灯の明かりがおぼろに霧に揺れる。暗闇のなか、真っ白な霧がその暗闇を一層不明にするように辺り一面を覆い尽くし、行く手の視界を遮る。



いつだって、こうさ、と私は思った。子供の時からいつだって人生はお先真っ暗。一寸先は霧が掛かって見通せない。だれも私を手助けしてくれる事など無かったし、人生において師と呼べる人に巡り会うこともなかったし、況わんや指導してくれる人を求めることさえしなかった。



車では ナビがないと最早運転できない 体たらくと化してしまったが、人生の道のりは何時でもこの霧を切り刻み進むようなもの。闇に浮かぶ真っ白な霧はまるで 谷山浩子 が歌う「まっくら森の歌」の世界のように恐ろしい勢いで襲いかかってきたが、酔いの中で明らかに意識が高揚しているその時は、一寸先の見えない道を迷うことなく先へ先へと進むのであった。

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