不吉な地震雲が見えた日

13日の金曜日、その不吉な朝、鮮やかな紺碧の空にUFOかと疑われる雲が現れた。まるで2機の巨大なUFOが編隊を組んで飛んでいる。あまりにも呆れるほど明瞭なその形に思わずシャッターを切った。

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その日、八甲田ビデオ の イントロ に続く2編目の編集に夜遅くまで掛かり、寝たのは真夜中の2時近くだった。翌日は14日の土曜だったので朝遅く起床し、寝ぼけ眼で歯を磨いている時、いきなり激しい揺れが襲ってきた。



最初は地響きのように細かい地揺れがザワザワと、そして数秒後に大きな横揺れがいきなり襲って来たのだった。いつもの地震かと思い、そのまま、歯を磨き続けようとしたのだが、それを躊躇させるほど激しく揺れ出した。それでも室内を歩ける程度の余裕があったので余り大したことはないと思い、テレビを点けてみる。



最初、体感的には震度4程度と思ったのだが、それは 横浜時代 にも何度か経験した強めの揺れと変わらない程度と思ったからだが、テレビの緊急テロップでは、当地区は震度5弱と表示されていた。



遂に宮城県沖または三陸沖大地震が来たかと思い震源地を確認すると、何と岩手山周辺の内陸ではないか。
当地に引っ越してから、地元のテレビではひっきりなしに宮城県沖大地震の警戒報道を行っていた。およそ30年ごとに繰り返される太平洋沖を震源とする大地震。今年は前回の発生から丁度30年目だという。



そもそも、このような地震地帯であることを知ってこの地へ引っ越したのかというと、それは違う。確かに、大昔の微かな記憶をたどれば、およそ30年ほど前にこの近辺で大規模な地震があり、多くの家屋が倒壊したということはおぼろげながら記憶の彼方にあったかも知れない。そういえば、当時、親戚が仙台駅前のマンションに住んでいたのだが、その地震で家の扉が開かなくなる程の被害を受けたと言うことは聞いたことがあった。



その時から既に30年経過し、それがそのような周期性を持っているとはつゆ知らず、わずか一度現地を見学しただけで 何かに引かれるように 引っ越してしまった のだ。だから、こちらでは県庁に地震警戒啓蒙部署がありテレビが連日、警戒啓蒙報道を行っていることに、最初、唖然としたのだった。



しかし、今日の震源地は内陸部でノーマークの場所なのだ。だから、朝、未だ情報の少ない内にテレビを点けたときは大したこと無いと思ったのだった。そのうち、IP電話が鳴り出し、親類縁者から安否確認の電話が掛かって来だした。みな、驚いているようだったが、報道ほどの揺れではないと言って安心して貰った。部屋の中だって小物の不安定なものが2~3倒れただけだったから。



いつもの土曜のように、朝のロードバイクトレーニング に出かけようと準備をし、携帯を取り出すと着信の記録があった。それは駐車場に停めている車のアラームが反応したもので、強い揺れにセキュリティ装置が反応し携帯に警報着信させたものだった。風の強い日や大雨の時にはよく誤動作していたので、これもいつものことと軽く受け流し、そのままバイクを部屋から担ぎ出しエレベータへと向かう。



エレベータが止まっていたのだった。



地震の揺れで安全装置が作動していた。やむなくバイクを担ぎ非常階段を下りる。バイクは8kg程度の軽さだから何の苦もなく1階まで降りることが出来た。これが、横浜時代 だったら大変だったと思う。何せ、向こうは11階だったから、到底バイクを担いだ上、踵の下がったバイクシューズを履いて階段を下りる気にはならなかっただろう。



いつものコースを20kmロードトレし、それが終わってから更にランを1時間弱こなす。マンションに戻ってみると未だエレベータは止まったままだった。バイクを担ぎ非常階段を上り、漸く、部屋に戻ってテレビを点けると驚くべき光景が映し出されていた。



まるで、中国四川の大地震と同じではないか。山が山毎崩落している驚異の映像。漸く事情が呑み込めてくるほどに思い出すのは昨日のUFO雲。あれは所謂、地震雲だったのだ。噂には聞いたことはあるが実物を見たのは初めてのことだった。不吉な地震雲。



引っ越して間もない大地震。これは今後こちらで生活するための厄払いとなる榊の揺れなのか、それとも警戒中の太平洋沖大地震の前触れなのか………、
それは正に神のみぞ知る。






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